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「よいワインとは何か」

「自分らしさとは何か」

この二つはセットで、私たちの日々のワインづくりにおける諸々の判断の素地として、個人の内面に横たわっている基本的な問いです。これらの問いは、解決を目的とした、一つの正解しかもたないような問いではなく、常に自問自答することでその事柄との関わりを方向づけていくような、答えではなく、問うこと自体に意味があるような問いです。

栽培担当の妻と醸造担当の夫はそれぞれに、この二つの問いを自問自答しながら日々作業しています。そして同時に、つくったワインを売って生計を立てているため、それぞれの思考は茶飯ごとに、台所でスタンバイしている「実現可能性」の俎板にのせられる事になります。現実の条件の中で実現可能性の低い思考は、食用不可な素材と同じでこの俎板にのる事はできません。また、一方の好物でも他方が吐き出すような素材は、やはりこの俎板にのる事はできません。このように、ソレイユワインは、まずは二人の人間の日常的な折衝によって生み出されているといえます。ソレイユワインは一人の人間の哲学や理念の実現体ではなく、社会の最小単位ともいわれる「家」の秩序維持の結果として存在し、さらに運営に関わる多くの個人(ブドウ農家やワイナリースタッフ)の生活との共存によって持続しています。

いかにも、持続可能性は私たちに身近な問題系です。ここではエコロジーと政治・経済・文化が切り離せないものとして関わっています。人間至上主義がこれまでに引き起こしてきた諸々の破綻を見せつけられた今となっては、一つの分野だけでの議論が空しいものである事を人類は既に知っています。しかし、どうでしょうか。いまや温室効果ガスが国家間の取引に用いられ、動物保護の観点から鯨やイルカの伝統的な捕獲が国際問題になっています。私は何か大切な事が見誤られているように感じます。そもそもは人間は自然の一部であり、かつ、人間一人一人もそれぞれ違っているという事への理解が足りていなかった事が「自然破壊」と「戦争」とに共通の原因ではなかったでしょうか。

確かにエコロジーの問題は複雑で、持続を前提とするならば政治・経済・文化をひっくるめた待ったなしの対策が必要です。しかし自然保護という態度は、自然を絵葉書のように商品化しキャンペーン化する事と直結しています。現にエコロジーの思想は、いまやキャンペーンにもならないほど普通になり、一言でいうと「善」とみなされています。こうした流れでいわゆる「自然派ワイン」も普通になりました。ワインの一カテゴリーとして定着したこの自然派ワインですが、産地や品種や作り手の個性(私はこれらがテロワールだと思っている)が「自然派らしさ(酸化防止剤を用いないため酸素との接触をギリギリまで抑える事で出る還元臭など)」で完全に覆い隠されているものも多くあり、そのことが残念で仕方ありません。作り手の名が売れ、流行るのは何らかの特徴やストーリーがあっての事でいいのですが、「オーガニック」や「ナチュラル」であれば良いとなると、これはもうワインというものが本来的に表現すべき(と私は思っている)「多様性」と真逆のものになってしまいます。

これも、もとはといえば自然を、保護するべき「対象」と捉える自然vs人間型のエコロジー観から来ているように思います。vsを設定してしまうと、破壊するか保護するかの違いにかかわらず、「自然」または「人間」という全体を構成する部分の違いに目が行かなくなります。それでは人間中心の思考から抜け出すことはできず、新たな破壊が気づかれないうちに進んでいるかもしれません。人間中心主義というのは、動物や植物よりも人間が偉いと言っていることが問題なのではなく、人間をひとからげにするところが危険なのです。この思考から抜け出すには、まず人間である自分を自然の一構成員だと知ることです。どうやって知るかといえば、それは隣の人や、自分の親や子供が「自分とは異なる」という事実の承認からではないでしょうか。まさにその違いにこそ、自然が宿っているからです。

自然界の万物が異なっているように、人間もみな異なっています。違いにこそ普遍が宿っている。差異を認め、生かす道をさぐるとは、裏を返せば自分が自分の言葉で話すこと、自分のよいと思うものを、それぞれに違う思想や感覚をもつ他人との折衝を重ねながら形にすることです。それが、自然と関わり、共生していく可能性をさぐる第一歩だと考えます。

「よいワインとは何か」に答えるのがワインづくりの哲学だとしたら、ソレイユワインに哲学はありません。生き物の類や種に違いがあるように、個体もすべてが違っていて、追い求めるワインの「良さ」も、自分らしさの追求も現在進行形で個人の内にあります。ただ、何がソレイユワインの特徴か、と問われればこのような図で表す事ができます。この交わったところをあえて、「ソレイユワインの美味さ」と呼びたいと思います。

三つの問いの交わったところがソレイユワインの美味しさ

三つの問いの交わったところがソレイユワインの美味しさ